昨日の不老泉が新しくて好印象だったので、朝風呂にも足を運んだ。
同じゲストハウスのベッド上段の人は別府八湯を制覇した猛者らしかった。
■別府800→919中津930→946行橋950→1035田川伊田 日豊線
ようやく18きっぷ使用者をちらほら見かけるように。
車内にハチがいてびびる。
駅につくたびに、トンボが風にそよぐようにホーム横を飛んでいた。
DVDが発売された「君の名は」の大ヒット要因について考察した記事を読んでいた。
田川伊田、田川後藤寺ともに、駅前が寂れた商店だけで飯を食う場所に困る。
田川石炭歴史博物館へ。以下感想
最盛期の映画館の多さに唖然とする。隔世の感がある。しかも内容が任侠映画や歌舞伎が多かったみたいだ。1970年頃に相次いで閉館していた。最後の映画館が閉館してからすでに30年近くが経っている。今後の田川はどうなるんだか…明治時代は女性が乳房を隠さないで仕事をしてたのか…今なら絶対ありえないな…性にルーズだったのかな…というか石炭採掘を女性にやらせてたというのも時代ならではだよなあ…男女ともに等しく職業を選り好みしないという意味では本当の男女平等であるが。
■田川伊田1245→1318直方1325→1338新飯塚1356→1407桂川1428→1456原田 糸田線・筑豊本線
淡々と乗りつぶすのみ。新飯塚でスタンプラリーの景品交換。
原田線は予想外のキハ31。
乗客10人弱。もっと混んでいるかと思った。
大学の頃はJR完乗は一生モノの目標だと勝手に思っていたが、この旅が終わると乗車率はついに95%を突破し、やりようによってはあと4,5回旅行に出れば達成できる。JR九州の残区間は、久大線久留米~由布院間・日田彦山線田川後藤寺~夜明間・九州新幹線熊本~鹿児島中央間のみ。本当にゴールが見えてきた。
原田線の途中駅はすべて、かつてあった交換設備が剥ぎ取られたあとが見て取れて生々しい。
こんな風景に遭うと、1年前までは興奮して残像が目の奥に残るような感覚があったのに、最近はさっぱりだ。
今や毎年言ってることだが、やはり年を召すと嗜好は変わるもので、私の心が高ぶるシーンも、海外や離島に傾き始めていると感じる。
さすがにまだ年のせいとは思いたくないが、風景が記憶に鮮明に残ることが少なくなってきているのが自分でもわかっているから、写真の枚数が増える。
それでいてあとから思い出すと写真を撮ってない出来事のほうが覚えているのだから不思議だ。
なんとなく、キハ31は次回九州に来るときにはもう会えないような気がする。この目に焼き付けた。
■原田1503→1508基山1528→1556甘木1631→1658基山 原田線・甘木鉄道
これも淡々と乗る。
甘木駅は豪雨被害の著しかった朝倉市内にある。
もっとも被害があったのはもっと山奥のほうらしいが、駅の待合室にはようこそ朝倉市へ!の看板があった。
このあとの行程で夕飯を食べられそうな場所がないので、甘木駅前のジョイフルで定食を急いで食す。宮城大会決勝をライブで見ていたらギリギリになってしまい、復路の基山行きに飛び乗った。
■基山1707→1713鳥栖1726→1753佐賀1805→1840佐賀空港1925→2110成田空港 長崎線・春秋航空日本
春秋航空日本のヘビーユーザーとして、こんな佐賀の近くまで来たからには佐賀空港から帰らないわけにいかない。
いくら空港が遠いとは言え、新幹線で帰るより早いのだ。これで関空成田線を除く3路線をコンプリート!
佐賀市営バス準急佐賀空港行き、乗客15人程度で空港に到着。
さっそく搭乗手続きを…と思ったら、手荷物5.9kgで春秋航空お得意の5kg制限に引っかかる。15kg制限は機内手荷物プラス預け荷物の合計の数字だということを、すっかり勘違いしていた。いつも思うが、数グラムオーバーでこうしてアテンダントにうだうだ指摘されるのに、痩身とデブは同じ扱いになるのが腑に落ちない。
手荷物の整理(通称・仮装)をして検査をクリアした。
しかし5kgはきついな…夏場でコレだからな…次回の海外のとき大丈夫かな…
この便でも、高度を下げていくときに激しい頭痛。副鼻腔炎のときの航空機は地獄だ。結局千葉の家に帰るまで耳づまりが解消されなかった。確実に快方に向かっているはずだが、今週治せるようにしたい。