アルプススノー社編集部

移動旅行、ときどき海外

2017新春岡山・鳥取(3)

朝眠い目をこすりながらカフェに顔を出すとスタッフの人が郵便を整理していた。昨日からずっとほったらかしにしていたらしい。

すげえなこの宿…すばらしいな。

 

鳥取と島根には日本海新聞という新聞があって、鳥取の人はほとんどの住民がこの新聞を読んでいるそうだ。

 

まだ旅程とか決めていないんですかと聞かれ、今日は境港に行く予定だと言う話をした。私の旅程作りも乗りつぶしマップが埋まっていくにつれて、ますますいい加減になっており、大学時代のように朝5時から電車に乗ったり、夜11時まで列車に揺られていることなどほぼなくなってしまった。まぁ目的の路線が少なくなってきたことはあるし、社会人になって無理をしなくなったためであるが、当時の旅程にかける情熱は今やほぼない。

そんな話をしたら、それは自分でそうしない方が楽しいと気づいたからじゃない?と言われた。うーん、確かにそうかもしれない。こうやってゲストハウスに来て初めて会った人たちと話をした方が、自分に得られるものがあると知らない間に気づいていたと言う事であろう。この時、Twitterを見ていて流れてきた言葉に旅行を豊かにするのは金ではなく教養だと言う名言のようなセリフがあった。私の矜持としては、これ以上ない金言だなと、後後になって思う。私も昨晩の会話では話せる話題があまり多くなかったので、ブラタモリをお手本に旅行を楽しめるような知識を蓄えて行きたいと思った。

 

 

松崎駅9時13分発の米子行き普通列車は、この区間を走行する数少ない4両編成であると言う情報を3年位前から得ており、ガラガラのキハ48に乗ることをとても楽しみにしていたが、来た列車は休日のためか案外混んでいた。

山陰線の倉吉~米子間は浜田のほうに比べると車窓はやや単調であるが、風力発電施設が目につく。

 

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昨年以来2度目の米子駅。昨年は素通りだった。大雨。

米子駅改札横には喫茶店があるのだが、めちゃくちゃみんなくつろいでいるように見える。このまったりした感じが自分にピッタリな気がするので、山陰は何度でも来たくなってしまう。この辺に住んだ方が間違いなく心が豊かになれるよなぁ・・・。

 

米子からは初めての境線。この線に乗ることで山陰地方の鉄道はすべて乗ったことになる。鬼太郎列車と目玉おやじ列車の2両編成。ホームは鬼太郎だらけ。車内は25人ぐらいの乗客。米子空港駅付近を除き境港へまっすぐ進む線路であるが、約20キロを40分かけてのんびりと走っていく。

 

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途中の駅は1面1線で同じようなホームの駅ばかり。車内は鬼太郎とねこ娘の次駅案内が流れるが私は鬼太郎の声優が、最新のアニメでは高山みなみが演じていることを知らなかったので、最初はコナンがしゃべっているのかと勘違いした。

乗客の半分ぐらいは境港駅まで利用していた。山陰の鉄道路線完乗!

コインロッカー200円を払い水木しげるロードへと歩を進める。丼やという店でマグロ丼を食す。境港では食事をとる。マグロ丼1,180円(大盛)

 

水木しげるロードは観光地としてかなり徹底されており、ほとんどの店が妖怪に絡めた店の名前やその商品を売っている。日曜日のため車で来た観光客も大勢おりとても賑わっていた。

妖怪スタンプラリーも行われており、そこら中の店の前に妖怪のスタンプが置いてある。全部で40種類集めると商品がもらえるらしいが、これだけたくさんあっては、スタンプ帳がないと集め切れない。

 

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境港に来た第一の目的は水木しげる記念館を訪問することだ。入館料700円を払いまず2階から水木先生の作品を鑑賞する。

私は妖怪はまだ見たことがないがやはりいる場所にはいるのではないかと言うような、あやふやな気分を今でも抱いている。昨年奥津軽いまべつからはやぶさに乗った時、荒俣宏さんの妖怪特集を車内誌で読んだが、なかなか臨場感にあふれた研究だった。

 

次に1階で水木先生の生涯を学ぶ。水木先生は太平洋戦争のラバウル戦線で左腕を失い、またその時の過酷な体験が後々の作品の礎となっているとのことであった。

一面に先生が誕生した時からの系譜が綴ってあるが、先生は境港から戦線に出た後は、神戸や西宮を住まいにしており、(まあ下積み時代があったとはいえ)脚光を浴び始めるのは40代からであったそうだ。これは自分には少し驚きであった。人生というのは本当に人それぞれだなぁと、わからないものだなぁと言う思いを胸にしながら展示を見ていた。これだけのたくさんの作品を世に送り出した先生でも、就職した頃は何度も職場を解雇されたり逃げ出したりしていたのだと思うと何だか勝手な親近感が湧いた。25歳ってまだ若いものだなぁと思った。

 

結局水木しげる記念館は1時間10分ほど滞在しその後は商店をぶらぶらしていた。

 

帰路の米子行きは結構混んでいた。

 

米子で4分乗り換えで伯備線新見行きに乗り込む。明らかに18きっぷで岡山方面に帰る人がちらほら見られた。もう3日もテレビを見ていません、とは十数年前の18きっぷのポスターのセリフである。まさしく今はそんな状態になっていた。人を少し見ただけでそれとわかってしまう私も病気だなと感じる。発車2分ぐらい前に自販機で飲み物を買おうとしたら、後ろにいた女性が早く買えと言うような感じで私をどかそうとしていた。

 

伯備線は昨年の夏も乗ったので、あまり車窓にこだわりがなくしばらくロングシートくつろいでいたが、ほどなく空いたので根雨駅からクロスシートに腰を下ろした。この電車は根雨で行き違いのために15分ほど止まっていた。根雨駅はその駅名がユニークでなかなか気に入っていたので今回降りられてよかった。

 

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生山駅から先は県境をまたぐので深山幽谷の中を突き進む。日もすっかり落ち、なかなか陰鬱な雰囲気となる。

伯備線のだらだらした電車に乗れていることもまた幸せだなとかみしめる。

 

新見駅にはネットカフェやゲストハウスがないのでビジネスホテル泊。近くのスーパープラザというところで半額の惣菜を買い占め晩酌をしていた。

この旅行の予定は全く無理がないので、気持ちにゆとりがある。やはり旅っていいなー。