大した倉敷観光もしていないのにこの街を後にする後ろめたさ。倉敷美観地区をこの目にやきつけることで自分の中で納得させる。
上郡駅から初めての智頭急行線に乗車。10人ぐらい乗っていたが、途中の平福駅でほとんど降りてしまった。旧因幡街道の宿場町であるこの街のウォーキングを楽しむ老夫婦が多かった。
平福から先は3,4人が入れ替わるような状態だった。まあ平福駅で15分、大原駅で13分、恋山形駅で5分泊まるこのダイヤでは誰も使わないような気はする。大原駅は特急が停まるのに、私が思い描いていた想像図とはかけ離れた無人駅であった。
智頭からJR因美線に乗り換えるが、あまり普通どうしの接続がよくないので特急に乗る。
特急スーパーいなばのデッキで、ソフトバンクの携帯キャリアを変えるためのMNPの電話をしていた。この旅行の次の週にスマホの契約を大手キャリアから格安MVNOに変えることを画策しており、その布石を旅行中に打っていた(→結局この翌週に切り替えた)。地方に来ると自由席が1両で座れないことがままある。
鳥取砂丘に着き、仮設のジオパークセンターを少し見た後にチラシをもらい、いざ大砂丘へ。鳥取県の人には申し訳ないが関東人から見た鳥取県と言えば鳥取砂丘以外はあまりパッと閃くものがない。「鳥取大砂丘」という呼び名はどうでしょうの大泉さんがほら吹きで発言しているのだと思っていたが、バス停の前には鳥取大砂丘と書かれた記念碑が立っており、公式の呼び名であるようだ。
砂丘を今回訪れた理由は、知り合いに鳥取に行った話をすると、決まって「砂丘見てきた?」と返されるのが常であって歯がゆい思いをすることが多かったためである。
ほとんどの客は馬の背という高台までの往復30分コースを動いていて、火山灰の露出地がある西側にはあまり歩を進めないようであった。(写真奥の右側で少し人が群がっているところが馬の背です。)
まぁどこまで進んでも目に入って来るのは日本海の景色と鳥取大砂丘の砂原であるので、まぁ往復だけでもう充分ここに来たぜと言う証明にはなる。私はもちろん火山灰の方にも足を運んだが、長い距離を歩いているうちに砂が靴の中にどんどん入り込んでいるような感覚になった。グループで来ている人たちは馬の背付近で記念写真を撮っているのに対し、私のような1人旅は人のいない60分コースのほうにどんどん進んでいるので結構わかりやすい。まあマジメに回るなら地図はもらったほうが良いと思う。
1周した後の感想を述べると、往復コースの方が人がたくさん歩いており砂が踏みしめられているのではるかに歩きやすい。
所々に杭が打ってあり、現在地を確認することができる。昨年Pokémon GOブームが到来した時、この杭付近がスポットになっているために、県知事が開放区と言ったりして、砂丘でゲームをする人がたくさん現れたようだ。しかし私が行った時はさすがにそのような光景はあまり見られなかった。
私は今回初めてiPhoneの音声入力を使って現地でこの記事を書いて(話して)いるのだが意外と面白くて、鳥取大砂丘の感想を誰もいないところで述べながら歩いていたら大きくルートをそれてしまった。気がついたらK-7地点と言う場所までたどり着いていた。
しかしこの音声入力と言うものはとても楽である。今までバスで酔いながらも携帯画面に向かっていたり、電波がぶちぶち切れるトンネルに苛立ちを覚えながら文章を書いていたあの苦労は何だったのかと思ってしまう。
いま、火山灰露出地の脇でしゃべっているが、ここでの文章量がやたらと多いのが周りに人がいないことの証である。
所要時間は2時間あれば充分。一本早いバスに乗って、駅に戻った。
米子行きは中学生だらけ。
15分前に発車するはずの、とっとりライナーの人が溢れて来て、普通に流れ込んできた。
向こう(とっとりライナー)の女子に手を振れなどと車内で騒いでいた。昔は自分もあんなことをしていたなぁ…。
松崎駅には5分ほど遅れて到着。
今日はこの駅の近くのゲストハウスに泊まる予定だ。このゲストハウスはとてもゆるい感じの宿だった。スタッフさんがこたつでぬくぬくと寝ていたりしていたのであー流れている時間が違うなぁと言うのが第一印象であった。
近くの寿湯という銭湯で熱いお湯につかったあと、ゲストハウスにいた地元の人とカシスマンゴーを飲みながら、宿泊者での交流を楽しんだ。
乗り鉄という話をしたらあまりそのような人は来ないらしく、鳥取のことをどう思うかとの質問をたくさん振られた。5年位前に羽幌に泊まった時もこんな感じだったなぁと思い出した。
主な話としては、平井知事は県外の人にはどう映るのか、大麻栽培を条例で禁止するのはおかしい、松崎駅をどうしたら地元が盛り上がると思うか、浜村に来て心が広くなった、などなど、話は多岐にわたった。
正直千葉の田舎の人間よりもとても世の中をよく見ようとしているなと思った。やはり昨年地震もあったし、それだけ鳥取の人は喉から手が出るほど観光客が欲しいらしい。危機感が常にあるのは素晴らしいことだ。関東人としては、地震のことは言われるまで頭になかったが、これだけ歓迎されるとまた来たくなる。
旅行中、ここまで雰囲気の緩いまちはなかった。湯梨浜町なら、毎日寝ていても誰にも何も言われなさそうなのどかさがある。大学を出て、働き続けることだけが生き方ではないのだなと思わせられる。
確かに、自分自身今の生き方で幸せなのかと言われると疑問符がつかなくもない。鳥取の家賃5000円の生活でやりたいことをやる生活でも、今より幸せになれるのかもしれない。例えスマホまみれになっても、世の中は昔より確実に良くなってると言っていた。